EduDX Report      

教育DXが拓くリスキリング社会
〜学び増しと不確実な時代のキャリア設計〜

なぜ今「教育DX × リスキリング」なのか

 近年、デジタル技術、とりわけ生成AIの急速な進展を背景として、産業構造や職業構成は大きく変化しつつある。注目すべきは、米国を中心に、ホワイトカラーやソフトウェア開発者といった、これまで比較的安定していると考えられてきた職種においても、職務内容の再定義やジョブ転換が報告されている点である。これは、不確実性の時代において、専門性の高低にかかわらず、職業(オキュペーション)が固定的に存続するという前提そのものが揺らぎ始めているといえる。

この変化は、一時的な技術ブームや景気循環によるものではない。アルビン・トフラーが唱えた農業革命、産業革命、情報通信革命の三つの波になぞらえるならば、第4の波と比喩的に呼びうる技術革新の過程として、教育やキャリア形成の前提条件そのものが問い直されている。BANIと呼ばれる現代の社会システムと人がおかれた時代の不確実性の中で、壊れやすく、不安が生み出され続けている状況において、個人の持続的なキャリアの可能性は、「何を学んできたか」ではなく、「学びを更新し続けられるか」によることとなったといえる。

こうした状況の中で、「教育DX」と「リスキリング」という言葉が頻繁に用いられるようになった。ただし、教育DXを単なるICT化やオンライン化と捉えたり、リスキリングを短期的な技能習得や職業訓練と理解したりすることは、本質を見誤る。

本稿では、教育DXとリスキリングを、変化し、不確実な社会に対応するための学びの構造転換として捉え直してみたい。

  • 本稿における「第4の波」という整理は、技術史を説明するための比喩的な表現であり、特定の理論枠組みに依拠するものではない。
  • BANIとは、Brittle(脆い)、Anxious(不安が蔓延する)、Nonlinear(非線形)、Incomprehensible(理解困難)を特徴とする社会状況を指す概念であり、Jamais Cascioが唱えた。

教育DXとは何を変えるのか

まず、教育DXとは、教育現場にデジタル技術を導入すること自体を目的とするものではない。ここでは、教育を成立させてきた前提条件そのものを組み替える試みであるとしたい。

従来の教育は、年齢や所属によって学習者を区分し、既存のカリキュラムを一方向に提供し、修了や卒業によって一区切りをつける構造を前提としてきた。教育DXが問うのは、学習がいつ・どこで・誰によって行われるのか、学習成果はいかに記録・評価されるべきか、学びはいかに次の学びや仕事へと接続されるのか、という前提条件そのものである。

LMS、データ基盤、生成AIなどは、そのための手段の1つではあるが、その本質は、教育を「一度きりの提供物」から、「循環する仕組み」としてのエコシステムへと転換できるかどうかにある。


リスキリング社会とは何か

リスキリングはしばしば、業務を改善や高度化するための特定スキルの技能追加や、再就職のための技能訓練として理解される場合が多い。しかし、リスキリング社会の本質は、むしろ社会の構造にある。

ここでは、リスキリング社会を、「人がある時点で獲得した知識や技能が、社会の変化に応じて持続的に更新されうることを、社会制度として支えることを前提とした社会」であると捉えたい。

それは、単に、個人に不断の努力を求める社会という意味ではない。学び直し、いや学び増しが制度的に可能であること、学習の達成履歴が正当に評価されること、学びが次の役割や責任に接続されることー そのような社会的基盤・労働基盤が整備されているかどうかが問われている。これ無くしては、人材の高度化、社会全体の次世代への転換は難しいのであろう。

【注3】 リスキリング及びマイクロクレデンシャルに関する国際的整理については、OECDや欧州委員会の報告書に詳しい。


学び増し:学びのエコシステムという視点

本稿では、「リスキリング」を、「学び直し」ではなく、「学び増し」という言葉を用いる。学び増しとは、既存の知識や経験を否定して入れ替えることではなく、それらの上に新たな知や経験を積み重ねていく営みである。そもそもキャリアとは「轍(わだち)」を意味し、後から振り返って初めて形をなすものである。個人は、目指す将来像だけではなく、周囲との関係性や偶発的な機会の中でもがきながら、新しい学びを通して次の道を切り開いていく。

この学び増しを成立させるためには、学びを個別の行為としてではなく、エコシステム〜多様な主体が相互作用しながら、持続的に維持され、進化する系〜として捉える必要がある。大学、企業、地域、行政、そして個人が、それぞれ孤立して学びを提供または消費するのではなく、多様なステークホルダーが、「知」を、学び・経験・評価・接続を通して、循環する関係を形成することが重要である。

教育DXは、この「知」の循環を可視化し、接続するための基盤となりえることと考えてみたい。Moodleなどが提供する学習システム、大学などが提供するマイクロクレデンシャル(特定の学習成果を小さいが、体系だてた単位で公式に証明する資格・認証)を保証するデジタルバッジなど、技術要素は現れつつある。例えば、企業が現場の課題を大学へフィードバックし、大学がそれに応じたマイクロクレデンシャルを提供し、それが個人の新たな役割へと反映するといった「知」の循環が期待できる。学位といった大きな単位ではなく、デジタルバッジを通した「小さな学習成果」の積み上げが、個々人のポートフォリオを再編集していくプロセスがこれから必要となろう。

これらが、「学び」というプロセスを可視化し、接続可能なものとして再構成しうるかどうかは、今後の設計と運用に大きく依存する。

新しいキャリア設計とは何か

従来のキャリア設計は、学校への入学、卒業、そして、就職、その企業での昇進といった一本の線のモデルを前提としてきた。しかし、このモデルはすでに多くの人にとって現実的ではない。例えば、高校生の1割が、通信制高校を選択していることは、従来の学校教育の組み替えを示しているのかもしれない。これからのキャリア設計は、役割を移動し、学びを挟み直し、複数の専門性を行き来するような、可変的で再編集可能なプロセスとなろう。

ここでキャリアに対する一考を、リスキリングの観点から加えて見よう。技術者倫理という科目の中で、私はいつも、学生に「キャリアのドアにノブはない」という比喩を批判的に読み替えた内田樹氏のエッセイを読んでもらう。元は、ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアによる、「機会は与えられるものではなく、自らが内側から押し開き、引き受けるものだ」という思想を象徴的に表現した言葉と言われる。内田樹氏は、これを、「自分自身は扉の前に立ち、適性や役割が関係性の中で規定され、呼びかけに応答しているうちに結果として扉が開いており、通過している」と捉え直している。つまり、キャリア設計のために、ノブをとりつけることではないと位置づけることができる。

ここに至り、重要なのは、社会の不安定さ・不確実性に不安がるのではなく、このキャリアの道が開く余地としての学びの機会を持つことである。すなわち、不確実な時代における教育DXの役割は、個人の学習履歴や能力を単に「証明」することではない。主体的な学びの履歴を通して、関係性の中で役割が立ち上がるための「応答可能性」を高め、その痕跡を残すための基盤となることである。

【注4】「キャリアのドアにノブはない」という表現は、ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの思想を象徴的に表した比喩として広く流通しているが、逐語的な一次資料が確認されているわけではない。

【注5】内田樹はこの比喩の提唱者ではなく、自己責任論的キャリア観への批判として再解釈を行っている。


まとめ:教育DXが拓く社会像

教育DXが拓くのは、単なる効率化された教育ではない。学び続けることが特別ではなく、学び直すことが後ろ向きと見なされず、学び増しとして、学びが社会参加や社会への責任の引き受けとなりえるプロフェッションにつながる社会である。

改めて、リスキリング社会とは、変化に適応できる人だけが生き残る社会ではない。変化に向き合い続ける人を支える社会であるべきである。ここに教育DXが果たすべき役割があるといえる。  本稿が、教育や人材育成を考える上で、「何を設計し直すべきか」、という新たな問いが創発する契機となればと考え、筆をおく。

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