インストラクショナルデザインの考え方
~連載:教育・研修DXを支える学習の理論と実践(3)~

2025年10月20日 仲林 清(EduDX lab.Asia所長)
前回まで,効率化,新価値創造,継続的変革という3つの段階からなるデジタルトランスフォーメーション(DX)の過程を概観し,教育分野でのデジタル技術活用の可能性を考えてみました.デジタル技術を活用した変革のためには,単に技術を導入するだけではなく,教育・研修の目的に照らして技術の適用方法を設計する必要があります.さらに,このような検討の基盤として「行動主義」「認知主義」「構成主義」という学習に関する心理学の3つの流れをご紹介しました.今回は,これらの心理学の理論を基に,効果的で魅力的な学習手法を設計するためのインストラクショナルデザインの考え方をご紹介します.
インストラクショナルデザインとは
インストラクショナルデザイン(以下ID)は教育・学習の効果・効率・魅力を高めるためのシステム的なアプローチとされています(1) (2).「システム的」にはいろいろな意味がありますが,基本的な考え方は,最初に教育・学習の目的・目標を明確にし,それを基にしてPDCAサイクルを回していく,ということになります.PDCAサイクル(3)は,Plan(計画),Do(実施),Check(確認),Act(改善)という一連の流れを繰り返していく,という考え方です.このような考え方は,企業の品質管理で業務を継続的に改善していくための方法や,情報システムの開発プロセスなどでも一般的なものです.IDの場合は,
- 教育を行なう目的・目標を明確にする
- 受講者の特徴や教育環境の制約も踏まえて,効果的な教育方法を選択・実行する
- 受講者の理解度や行動変容を把握して,教育効果を測定し教育方法を改善する
という流れを繰り返すことになります.つまり,いきなり教育方法を考えるのではなく,教育を行うことで,受講者に何を学んで欲しいのか,何ができるようになって欲しいのかという学習目標を考え,それが達成されたかどうかを評価・測定して,教育方法を改善していく,という流れになります.
このようなサイクルを考えるうえで重要なポイントはいくつかあり,詳細は参考文献(1) (2)をご覧いただければと思いますが,一般的な教育に対するイメージと大きく異なるのは,学習目標を最初にできるだけ詳細化して検討し,それが達成されたかどうかを測定するためのテストや評価方法を設計する,という考え方でしょう.普通,教育や研修を企画する場合は,教える内容や教材,コンテンツを最初に作成し,テストは教える内容を基にしてあとで考える,というやり方が一般的だと思われます.しかし,IDのシステム的なアプローチでは,例えば「入力した整数の四則演算結果を出力するC言語のプログラムを参考書などは見ないで,10分以内に書ける」といったように,「受講者が何ができるようになるのか」という学習目標を最初に言語化し,それを測定するためのテストや評価方法を考えます.次にこのような学習目標を複数のサブゴールに分割して,それに対する学習方法を考えます.上記のC言語のプログラミングの例では,「整数の変数宣言ができる」「数値の入力ができる」「数値の出力ができる」「整数の四則演算ができる」といったサブゴールが考えられます.
このようなシステム的なアプローチは情報システムの開発でも一般的と書きましたが,情報システムが実現するべき機能と,その機能が正しく実装されているかを確認するテスト項目を最初に考える,という方法や,最終的に目標とするシステムを複数のモジュールに機能分解して,それぞれのモジュールを設計・開発して組み合せる,という考え方も情報システムの開発と共通するものであることがご理解いただけると思います.
インストラクショナルデザインの理論例
IDの分野では,前回ご紹介した学習心理学の理論に基づいて,効果的・効率的な学習を実現するためのさまざまな理論や方法が提案されています(4) (5).このような理論の例として,「9教授事象(1) (5)」と「IDの第一原理(4) (5) (6)」をご紹介します.
(1)9教授事象
この考え方は認知心理学をベースとしたもので,授業やeラーニングコンテンツの構成を検討する際に役に立ちます.9教授事象はその名の通り,表1の9つの段階からなります.
表1 9教授事象と具体例
| 事象と説明 | 具体例 | ||
| 導入 | 事象1 | 学習者の注意を喚起する | 異なる平行四辺形を図示し,どちらが大きいか考えさせる |
| 事象2 | 授業の目標を知らせる | 平行四辺形の面積計算の習得が目標であることを伝える | |
| 事象3 | 前提条件を思い出させる | 平行四辺形の定義を伝える 基になる長方形の計算方法を思い出させる | |
| 展開 | 事象4 | 新しい事項を提示する | 平行四辺形の面積が「底辺×高さ」であることを,例を示すなどしながら伝える |
| 事象5 | 学習の指針を知らせる | 面積が「底辺×高さ」で求められる理由を,長方形の面積の求め方を踏まえて説明する | |
| 事象6 | 練習の機会を作る | 平行四辺形の具体例で面積を計算させる | |
| 事象7 | フィードバックを与える | 正解を示し,誤りがあればその種別・内容に応じて理由を説明する | |
| まとめ | 事象8 | 学習の成果を評価する | テストで学習の達成度を評価する |
| 事象9 | 保持と転移を高める | 次回の授業で,平行四辺形の面積の計算を基に台形の面積の求め方を学ぶ | |
まず導入では,事象1でこれから学ぶ内容に対して学習者の注意を向けさせ,事象2で何ができるようになることを目指すのかという学習目標を伝えます.また,事象3で学習内容の前提となる事項を思い出させます.次の展開では,事象4で学習する新しい事項を例などともに提示し,事象5で前提条件を踏まえて新しい事項の考え方や理由を説明します.これらの内容・考え方を事象6で練習問題に適用させ,事象7でフィードバックを行います.最後のまとめでは,事象8で学習の達成度を評価します.事象6の練習問題とは違い,学んだことが身についているかを確認するためのテストを行います.事象9では,学んだことを他の場面に適用させたり,学んだことを前提にさらに新しい事項を学ぶことで保持と転移を高めます.
一般的なイメージでは,「事象4:新しい事項の提示」,「事象5:学習の指針の説明」が授業やコンテンツ構成の中心,と考えられがちですが,9教授事象ではその前後の「事象1:注意喚起」「事象3:前提条件の想起」「事象9:保持と転移」なども含まれています.これらは,学習者の既有知識やすでに学んだことと新しく学ぶことを関連付けるために行われています.つまり,前回の記事で説明した「学習は,何もないところに新しい知識を書き込むことではなく,新しい知識と既存のスキーマとの整合性のある関係を発見すること」という認知心理学の知見が反映されています.
また,「事象6:練習の機会」「事象7:フィードバック」は,新しく学んだことを正しく定着させるために重要ですが,教室での対面型授業では,時間を割くのが難しかったり,学習者ごとに個別にフィードバックを行うのは非常に困難です.しかし,独習型のeラーニング環境ではこのような機能を実装するのは容易です.特に,学習者の回答内容に応じた個別フィードバックは以前は技術的に困難でしたが,この連載の1回目で述べたように近年のAIの進化で効果的で品質の高いフィードバックが容易に実装できるようになってきています.
(2)IDの第1原理
IDの第1原理はデビッド・メリルが提唱した,効果的な学習を設計するための普遍的な原則です(4) (5) (6).構成主義に影響を受けて提唱された多くのIDの理論・モデルに共通する方略を以下の5つの要件としてまとめたものです.
- 課題中心
現実的な課題を学習者に提示し,研修・授業で何ができるようになるのかをイメージさせます.いきなり難しい課題を出すのではなく,難易度を順に上げて達成感を持たせます.
- 既有知識/経験の活性化
新しく学ぶ内容に関係する学習者の既有知識や経験を思い出させます.課題を解くためにどうすればいいかを考えさせ,学習者の既有知識との関連付けを図ります.
- 例示
新しく学ぶ概念や手順を適用した具体例を提示します.単に言葉で伝えるのではなく,操作手順を実演したり,概念が当てはまる例とそうでない例の比較を示します.
- 応用
例示した学習内容を別の課題に応用させます.例示で学んだ概念や手順を問題解決に適用する練習の機会を作ります.誤りには適切なフィードバックを行い理解の深化を促します.
- 統合
学んだ内容をデモンストレーションしたり,他者と話し合ったり,現場の日常業務の中で活用する機会を作ります.これによって,学びの成果の振り返り・内省を促します.
以上のIDの第1原理には,冒頭で述べたように構成主義の考え方が反映されています.学習目標を提示することは9教授事象でも行われていますが,第1原理ではより明確に学習者がおかれた現実の環境での課題を提示し,これを解決できるようになることが目標であることを意識させています.また,既有知識や経験を思い出させて新しく学ぶことと関連付けることも9教授事象と同様に行われていますが,第1原理の場合は,課題を解くためにどうすればいいかを最初に考えさせることで,学習者の既有知識との関連付けを図ることを勧めています.さらに,例示→応用→統合という流れで,最終的には現実的な場面で学んだ成果を活用させ,振り返りを促すことを重視しています.これは,前回の記事で紹介した構成主義の「学習は現実的な場面での自主的な活動や他者との関わり合いの中で行われる」という考え方に則ったものになっています.
今回は,効果的・効率的な学習をシステム的なアプローチで実現するというインストラクショナルデザインの考え方と,そのための理論の例をご紹介しました.次回は,このようなインストラクショナルデザインの考え方を適用した実践時事例をご紹介します.
参考文献
(1)鈴木克明:“教材設計マニュアル”,北大路書房(2002)
(2)鈴木克明:“研修設計マニュアル”,北大路書房(2015)
(3) https://ja.wikipedia.org/wiki/PDCAサイクル
(4)C. M.ライゲルース,A.A.カー=シェルマン(編著),鈴木克明,林雄介(監訳):“インストラクショナルデザインの理論とモデル”,北大路書房(2016)
(5)鈴木克明(監修),市川尚,根本淳子(編著):“インストラクショナルデザインの道具箱101”,北大路書房(2016)
(6)鈴木克明,根本淳子:“教育設計についての三つの第一原理の誕生をめぐって”,教育システム情報学会誌,28巻2号 pp. 168-176(2011),https://doi.org/10.14926/jsise.28.168